
どこまでいっても人、人、人・・・
だからど~しても、ど~しても現れてしまう。
写真に一人は、主人公のような写りをする人がど~しても現れてしまう。
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- 2007/02/28(水) 22:02:41|
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雷門をくぐると、そこは仲見世通り。
車のための道幅ではなく
人の活気をもっとも感じやすいのではないかという道幅で
元気な商店街がどこまでも続いていた。
とにかく長くて驚いた。
まだ正月気分があふれていて、歩いているだけで楽しい気分になれた。
- 2007/02/27(火) 00:28:25|
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1月20日、21日と仕事のついでに東京へ行ってきました。
あんまり写真撮りませんでしたが、その時の写真をど~ぞ。

※これぞ浅草
「雷門」これを見たとき、僕はほっとし、そして興奮していた。
[ここはどこだ @浅草]の続きを読む
- 2007/02/25(日) 21:44:27|
- 東京
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シャンルウルファ城から降りてくると
それを見つけた高校生ぐらいの男たち4人組が僕らを呼び止めた。
どうやら話をしようということらしい。
いつもの会話集で雑談を開始。
そのなかでひとつ、「臆病者」を意味する言葉があった。
4人の中でリーダーっぽい男が、仲間のひょろりとした一人を指差して、その単語を連呼した。
結果、いわれたひょろり君はだんだん表情が変わっいき・・・・
激怒!!
帰っていってしまった。
近くに小学生っぽい子達が興味深げにいたのでその子達をパシャリ。

※子供とワル
ワルイやつは思いっきりボケさしてやった(笑
ワルイやつはヒョロリ君が怒ったのを察知してすぐに追いかけていき、肩組んでなだめていた。
まあそういう関係でいままでもきたのだろう。
肩を組むなだめ方がなんとも外国な感じがした。
わかるかな?あの肩組んでなだめている感じ。
いろんな民族がいて、暑くて、ウルファケバブっていう唐辛子が利いた料理がある魅力的な街ウルファ。
そんな街だったが、僕らはちょっと先を急いでいた。
だからこの街を早々と離れることにした。
名残惜しいが、街の景色を数枚載せてお別れとしよう。

※どこを撮っているんだこの東洋人?と興味の目で見られながら撮った写真

※不思議な町並み
荷物を持ってバス乗り場(オトガル)へ歩いて向かう途中、
町並みが夕日に染まって綺麗だったので兄に撮ってもらった。

※さらばウルファとシャツをズボンにインのウナム
僕らは山頂に顔の岩が転がっている神秘の山、ネムルト山を目指すのだった。
※ここで一度、トルコ話を休憩します。
次回からは1月に行った東京の写真などを公開していきますね
- 2007/02/24(土) 17:10:56|
- 2006年トルコ イタリア スイスの旅
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暑い。
とにかく暑い。
2時前には登るなと言われたシャンルウルファ城は
まずそこにたどり着くまでが大変だった。

※シャンルウルファ城とリョム(兄)
[シャンルウルファ城]の続きを読む
- 2007/02/22(木) 00:44:32|
- 2006年トルコ イタリア スイスの旅
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城が暑過ぎるため、時間をつぶしていた僕らが次に訪れたのが
聖なる魚の池の隣に建つルドヴァニエ・ジャーミーだ。
要するにモスクだ。
モスクの前までやってくると、礼拝を終えたのだろうか
数人の男性が座って雑談をしていた。
入り口にいくには、彼らの間を通らなければいけない。
意を決して彼らの前を通ると、やはり呼び止められ
ジャポン、ジャポン?と言われる時間がやってきた。
これはもう通過儀礼のようなものになりつつあった。
僕はこの旅は交流することを目標においていたので、
それが嫌ということはなく、むしろ喜んでいた。
一通りに交流を終えて中に入る。

※窓際の写真をパシャリ
歴史を感じさせる格子、木のぬくもり。
1736年建築の深みを感じさせる一枚になった・・・・
とかいいつつ、実は失敗写真である。
本当は窓の外の景色が撮りたかった。
室内は真っ黒になって外の景色だけが見える様子になる予定が・・・
未熟な僕は室内に露出をあわせてしまい大失敗。
外の露出をそのまま持ってくれば撮れるというイージーな写真だったはずなのだが。
次はがんばる。
[モスクと迷いと遠慮と]の続きを読む
- 2007/02/20(火) 09:09:09|
- 2006年トルコ イタリア スイスの旅
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バザールから「聖なる魚の池公園」に戻ってきた。
シャンルウルファ城に登るまえに、もう少し公園を散策することに
公園の北側には店が入っている建物があった。
そこはちょっとした高台になっており公園が上から見下ろせた。

※白と緑と黒い人
ハリル・ラフマン・ジャーミーや緑の公園、さらに奥にはシャンルウルファ城といわれる岩山が見える。
なんとも整備されていてきれいな公園である。
でもやはり僕のイメージでは綺麗とか美しいという表現よりも
cleanといった感じがするのだ。
アラブ的な幾何学というか、建物の規則性と白さがそう印象付けるのかもしれない。
上の写真を撮った場所もこんな感じだった。

※シンメトリー
まっすぐ伸びた直線と規則的にかかるアーチ
真ん中に兄のリョムを添えてみました。
いかがでしょうか?(笑
どうも扁桃腺がポンポコリンに腫れてしまって
ずっきんずっきんするので今回はこの辺で。
続く!
- 2007/02/18(日) 17:06:39|
- 2006年トルコ イタリア スイスの旅
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きのう、サムソンはとことか勝利した?
きょうは陥落するつもりだった?
クルドまでサムソンとアラブでサムソンのスルタンも話された!
サムソンが独立したいなぁ。
きのうは勝利しなかった。
サムソンで話された。
ウナムが修道院を工事していたおじさんが聖なる片手に汗だくで歩いてきたシマらを見ていったいどこからやってきたんだ?って言ってたけど…*このエントリは、B l o g P e t(ブログペット)の「シマ」が書きました。
*このエントリは、
BlogPet(ブログペット)の「
シマ」が書きました。
- 2007/02/16(金) 12:29:47|
- シマのお言葉
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ウルファの街はいままでの街と色々違うとこに気づく。
アラブ人がいること
公園が美しいこと
建物が遠近法に容易に撮れるようなきれいな構造をしていること
いきなり暑いこと
しかし、一番気になっていたのは・・・
[スカーフ]の続きを読む
- 2007/02/16(金) 07:07:07|
- 2006年トルコ イタリア スイスの旅
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トルコ人と話していて、突如として日本語のような言葉が聞こえてくるとことがある。
そのなかの一つが
「なまず」である。
なまずとは何か。
それは
「礼拝」のことである。
僕はなまずと聞いて、地面のしたでナマズが大暴れしている地震の図を
思い出していたので
そのギャップに一発で覚えてしまった。
しかも、間違いなくはっきりと「なまず」と日本語で言ってやれば
ちゃんと礼拝という意味で通じてしまうのだ。
みなさんもトルコへ行ったらぜひトルコの人に「なまず」と呼びかけてみましょう~
たぶん通じます。
どんな場面で呼びかけるかは・・・お任せしますけどね(笑
次に僕らがやってきたのは
すぐ隣にある、「アブラハム生誕の地」という岩をくりぬいて
外壁を作ったような場所だ。
7歳までアブラハムが過ごしたといわれる場所である。
まさかそんなところへ神も仏もない交ぜな我々が入っていいのだろうか?!
しかも写真なんて撮っていいのだろうか???
心配になったので、勝手にガイドをしてくれる学生君に
「フォト オッケ~?」「エンター オッケ~?」
とたずねてみると学生君は
「O.K.」と笑顔で答えてくれた。
じゃ、大丈夫なのだろう・・・と心配しながらも中へ入る。
入り口は二つに分かれていた。
左が女性で、右が男性だった。
靴を脱いで、奥にいくと小さな部屋があった。
そこには水道があり、体を清めることとなる。
水道といっても、日本のトイレ以下のちゃっちい蛇口があるだけである。
水が出ればいいという感じの水道で、首筋や顔や足首などをみなさん洗っていた。
僕らもマネをしておいた。
中に入ると狭いけれど絨毯が敷かれていて整っている部屋があった。
ここが聖地アブラハム生誕の地。。。。
聖地なのに、何事もなく入ることができ、
みなさんが普通にナマズをしている。
きっとイスラム教徒の彼らにとってここでナマズできることはとっても幸せなことなのだろうと思った。
いままで礼拝の場所といえばモスクという広大な空間だったのだが
ここは、、小さいのだけどしっくりくる、
気持ちが逃げないような、なんとも不思議で絶妙な広さだった。
ちょっと特殊な空間だと感じた。
僕はリョム(兄)からビデオを借りて彼らのナマズの一部始終をビデオに撮った。
ビデオは怒られるかな?と思ったけれど、これまたなんのおとがめなし。。。
なんとも寛容なのなのか問題ないことなのか疑問に思いつつ静かに人々の様子を眺めた。
ここではこの行為が長い時間ずっと繰り返されてきたのだ。
写真も撮っておいた。

※アブラハム生誕の地の内部
絨毯のマスは一人分ずつに区切られている。
マスの中でそれぞれのタイミングでナマズをする姿は形式美はもちろん
祈り世界や自分の中に入り込む早さや深さ、真剣さなど、
マスの中に宇宙でもあるような、ひとりひとりが世界を持っているような感じがした。
そして祈りは壁のはるかかなたにあるメッカはカーバ神殿へと続いているのだろう。
壁に向かって祈る光景はなんとも不思議だった。
続く
- 2007/02/14(水) 11:11:11|
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聖なる魚の池を見た後やってきたのは
ハリル・ラフマーン・ジャーミーというところ
池から徒歩3分といったとこだろうか。
要するに公園内にあるモスクである。
1211年に建造されたというが、そんな昔にできたとは思えないくらい美しいモスクである。
ちなみにここはシャンルウルファという場所なのだが
トルコの人たちはここを単にウルファと呼んでいる。
シャンルとは称号である。
1453年にスルタン・マホメット2世(メフメト2世)が
コンスタンティノープルを陥落させイスタンブールとして以来
500年近く続いてきたオスマン・トルコ帝国が1919年第一次世界大戦の敗戦国として
イギリス・ロシア・フランス・ギリシャ・イタリアに領土を分割されようとしていた。
オスマントルコは軍隊を禁止され、武器を差し出すことになる。
アルメニア人に52万のトルコ人が虐殺されたという話もある。
イギリスがクルド人の国を作るともいう(実行されなかったけど)
このままではトルコが失われる!!
そこで立ち上がったのがケマル・パシャことムスタファ・ケマルである。
彼はサムソンという街で軍を作り、ゲリラをまとめて戦争を始めた。
これを独立戦争という。
結果、勝利を収め、トルコの領土を取り戻し1923年共和国を設立する。
ムスタファ・ケマルは初の大統領となり
日本の明治維新を手本とした近代的な国づくりをはじめることとなる。
文字を変え、服装を変え、イスラムを国教からはずし、女性の参政権をいち早く認めた。
結果現在のトルコの基礎を作ったので、ムスタファ・ケマルは
アタトゥルク(トルコの父)といわれている。
彼の顔はトルコの街のいたるところで写真や銅像で見ることができる。
普通に家の中に飾ってあったりするのだ。
その独立戦争で勇敢に戦ったウルファ住民に与えられたのが「シャンル」という称号なのである。
ということで、これからは僕もウルファと短く呼ばせてもらうことにしよう。
ウルファのこの公園で印象的だったのは、そのきれいさだ。
イスタンブールなどのごちゃごちゃ感はあまりない。
整然として、白くて、クリーンで、なんとなくアラブの影響を感じる世界だ。
あまりにも美しく、写真を撮ると遠近法を絵に書いたような
中心にすべての線が向かう構図になるので
思わず学生君に中心に自分たちを置いて撮ってもらいました。

※ホワイトワールドに兄弟ふたり
兄の足の組み方が異常に気になった。
続く!
そして・・・
ウナムのまなざし一周年です!!おめでとう僕!(涙)
ありがとうみなさん!(感謝)
2年目もがんばります♪(努力)
これからもよろしくお願いいたします!!!!(願!)
- 2007/02/12(月) 15:19:01|
- 2006年トルコ イタリア スイスの旅
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聖なる魚の池公園にたどり着いた僕ら。
びっくりするほど整備が行き届いている公園を歩いていくと・・・
林のような、木が茂った一帯があった。
いきなり僕らを案内してあげるという学生くんが現れたので付き合い程度についていくことに。
彼が連れて行った先に池があった。
それが聖なる魚の池だった!
彼のガイドのおかげが、結局目の前だったのか、あっさり行き着いてしまった!

※聖なる魚の池の魚にえさをあげる人々…と本に一生懸命の異教徒リョム(兄)
ここシャンルウルファは預言者アブラハム(イブラヒム)、ヨブ、エリアが住んでいたといわれる
まさに旧約聖書の中の街だ。
伝説の地!!伝説の中に生きる街ウルファ!
興奮が高まる。
しかもアブラハムが生まれた場所とされている。
言い伝えによれば、この地域の王であったニムルットに、預言者アブラハムは火刑に処されたが、
火の中から奇跡的に水が出てきて、アブラハムは助かったという。
そして、水は池となり、薪は中で泳ぐ魚となったとか。。。
それが聖なる魚の池ということらしい。
またその隣にアインゼリハという池があるのだが
アブラハムを追ってニムルット(ネムルート?)の娘ゼリハが火の中に飛び込んだところ
神が火刑の火を水に、薪を魚にかえた・・・
というエピソードがあるそうだ。
そして学生くんの説明によると
この中にいる魚の一匹がアブラハムだとか・・・・
しかも「ゴールドフィッシュ」とか言っていた気がする。
本当か??(笑
簡単にいえば
アブラハムの池が「聖なる魚の池」で
ゼリハの池が「アインゼリハ池」ということみたいだ。
ついでにアブラハムは今もゴールドフィシュで泳いでいると…

※アインゼリハ池
ちなみにアインゼリハ池ではボートに乗ることができるみたいだった。
火できた水に薪でできた魚が泳ぐアインゼリハ池。
ロマンチックだ。
ぜひカップルで訪れた方は乗ってみてください。
僕らは、、、、乗りませんでした。男同士故に!兄弟故に!
続く!!
- 2007/02/10(土) 21:10:20|
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ウナムが
修道院を工事していたおじさんが聖なる片手に汗だくで歩いてきた僕らを見て
いったいどこからやってきたんだ?
って言ってたけど…
*このエントリは、
BlogPet(ブログペット)の「
シマ」が書きました。
- 2007/02/09(金) 12:33:49|
- シマのお言葉
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マルディンを後にした僕らを乗せたバスは
夜道をひたすらシャンルウルファに向かって進む。
なにやら前に座ったクルド人の老人がいたく僕らを気に入ったようで
休憩になるとお菓子を手に一杯買ってきてくれたりして食え食えと世話を焼いてくれた。
数時間後、僕らは深夜のシャンルウルファに到着した。
とにかくホテルを探さないと・・・ということですぐそこにいた人に
「ウジュズ オテル ネレデ?」(安いホテルはどこ?)と聞いてみた。
あまりうまい反応がなかったので、地球の歩き方に載っている安いホテルを指差してもう一度たずねてみると
大体の方向を示してくれたのでその方向へ。
それからも親切な若者たちに案内されたりしながら、なんとか宿にたどり着くことができた。
その夜のシャンルウルファのイメージは柿色のライトの灯った夜のイメージだった。
その中でがんばった記憶しかない。
朝起きると、、、ん???
なにやら違和感を感じる・・・
まず・・・暑い!!
つい5日前くらいまでは雪を見ていたはずなのだが、南下してきたことによって
一気に気候が変わったようだ。
そして音がする。
ドンドンドンドン。ドラムの音のようだ。
どうやら近くに市役所のようなものがあるみたいで、人々が旗をふりふりデモをしていた。
こりゃ~とんでもないとこにきてしまったのか??
「東の方は危ない」繰り返し聞かされてきた言葉が頭をよぎる。
とりあえず僕はホテルのすぐ隣にあった店で朝食をとった。
あま~い蜂蜜バターでパンを味わい腹ごしらえ。
チャイをごくごく飲んでいざ街へ繰り出した。
この街には「聖なる魚の池」というとこがあるらしい。
なんて素敵なネーミング!
しかもその辺に見所は集中しているらしかった。
僕らはとにかくそっちをめざしてテクテク歩き出した。
警察がそこらじゅうにいる。
なにやら緊張する。
やはり治安が悪いのは間違いないらしい。

※バザール
途中にバザールがあったりしてとにかく人があふれていた。
イスタンブール以来の人の多さだった。(53万人いるらしい)
しかもここはトルコ人はもちろんアラブ人やクルド人、はたまたイラン人までまざって
(なぜイラン人と分かるかといえば戒律が厳しいイランの人は黒い布で体を覆っているからだ)
なんだかカオス(混沌)の雰囲気があった。
そんなカオスに酔いながらリョム(兄)に置いてかれまいと歩いていると
いきなりグイっと手を握られた。
?!
びっくりして振り向くとイスに座った老人がすごい笑顔で僕を見つめていた。
そして「ジャポ~ン」
と一言。
僕はなにやら出会いを感じたが、振り向かない男リョムが先をとっとと歩いていってしまうので
二言ぐらい話して後を追った。
そんなこともありながら進んでいくといきなり景色が開けた。
そこにはきれいに整備された広場がひろがっていた。

聖なる魚の池公園についた
続く
- 2007/02/08(木) 00:34:47|
- 2006年トルコ イタリア スイスの旅
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遊牧民と出会い
強面さんに送ってもらい戻ってきたマルディン市街。
そこで僕らはついにみた。
「地球の歩き方」に載っていたあの景色を。
夕焼けをバックに山に張り付くように広がる町並みが夜の光を発する景色。
少し時間が早くて、まだ町に光はともっていなかったが、
景色を撮った場所はこのあたりだろうという場所を見つけることができた。

※落日とマルディン
[マルディンの輪郭]の続きを読む
- 2007/02/05(月) 12:49:59|
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四角い敷地の中に四角くザファラン修道院は建っていた。
門をくぐって中に入る。
街から離れた立地
大きく立派な門。
四方に張り巡らされ、かなりの高さがある塀
やはりイスラムの地で修道院を続けることは大変だったのだろうと感じさせた
[ザファラン修道院とkowamoteさん @マルディン]の続きを読む
- 2007/02/03(土) 12:30:15|
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今日ネットで
コップと、
コップとかを生活に適した、持ち運びやすさ、そして丈夫さをかねている
テントの床には絨毯がひかれているのが絨毯だということがよくわかった
遊牧民の生活に適した、持ち運びやすさ、そして丈夫さを準備しなかったの?
そこへ・・・
*このエントリは、
BlogPet(ブログペット)の「
シマ」が書きました。
- 2007/02/02(金) 12:36:29|
- シマのお言葉
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