
1864年、日仏修好通商条約に基づき長崎にフランス人のために大浦天主堂ができたとき
一部の隠れキリシタンが天主堂に赴き、日本に長きに渡って耐えの偲んだ信徒がいることが分かる。
2年後、浦上村の信徒が仏式の葬儀を拒んだことで信徒の存在が明るみに出る。
そして堂々とキリシタンを名乗るものを多く出現、捕らえられ、拷問を受ける。
その様子を見たプロシア公使とフランス領事、ポルトガル公使、アメリカ公使などから抗議を受け
大阪城にてフランス公使と徳川慶喜の間で話し合いがもたれた。
そして、幕府解体を経ながら、信徒の改宗を求めたが改宗の意思がないことにぶれがなく
最終的に木戸孝允の決定によって萩、津和野、福山に移送することとなった。
そう、ここは、その中のひとつ。
津和野である。

雪深い津和野に移送された信徒は、減食はもちろんのこと、
三尺の牢屋にいれられたり、池の氷を割って裸で放り込まれたり、
放り込まれたと思ったら火あぶりにされたり、拷問を受け続けた。
そして36名の殉教者が出たそうな。

この教会は「津和野カトリック教会」と言われるところで
津和野で、特に乙女峠というところで行われた拷問の様子が文章、絵、模型によって解説されている。
資料館にある絵と文章はなかなか引き込まれる。
モリちゃんという子の記述があった。

モリちゃんという子は5才の女の子。
空腹に耐えながらも遊んでいたモリちゃんに役人がおいしそうなお菓子を見せ
「キリストは嫌いといいなさい。言うのが嫌なら この絵を踏みなさい。そうしたら食べさせてあげる」
と言うのだけど、モリちゃんは「パライソ(天国)にはもっとおいしいものがある」と言って食べなかった。
そしてそのまま殉教。
最年少の殉教者だそうです。
感銘を受けた役人はその後牧師になったそうな。

モリちゃんのエピソードを読み終わったとき、ちょうど隣にYSKがいた。
目があったとき思わず二人でつぶやいた。
モリちゃん・・・
- 2012/09/11(火) 21:17:54|
- 2012GWの旅
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旅先で、風景とか美味しいものとかを楽しむのもいいけれど、
歴史的なこととか展示とかをちゃんと見るっていうの大事よね。
(こないだ岸和田は、時間の都合でパスしちゃったけどw)
宗教っていうだけでなく、
きっと、「ココロにあること」っていうのは、
とっても強くて揺らがないんだろうな。
なんてことを、瓦に生えちゃったタンポポを見ながら思いました。
- 2012/09/12(水) 23:46:36 |
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津和野と言ったら萩とセットで、
小京都っていうイメージしかなかったけど、
そんな重たい歴史があったんだね。
長崎の方の教会とか撮ってみたいと思ってたんだけど、
そういう歴史を考えると安易に撮れないなぁと思った。
- 2012/09/13(木) 00:20:50 |
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