
お寺の廊下を順路に沿ってあるていくと、いきなり仏像が右側に出現する。
その仏像は立派なのだが傷が多く、でも大事そうにしてあり、しかし窮屈そうにそこにある。
解説を読む。
お名前は「丈六の釈迦牟尼佛」様。
1729年生まれのお方。
身体の傷は明治期の廃仏毀釈の際に大仏殿が取り壊され、
子供が登ってつけたものだそうだ。
なるほど。
本来は大仏殿があったわけだ。
だからなんかちょっと居心地わるそうなのか。

廃仏毀釈。
そもそも神仏習合をしていたものを分離するところから始まった運動らしいが
調べていくと結構徹底的にお寺を破壊していったみたい。
今の感覚からいくと、神社とお寺が一緒だったていうのは不思議な感じもするけど
いままで信じていたものを、分離するとなっただけで
何百というお寺がなくなるような事態になるまでやるというのはどういう状態だったのだろう。
昨日まで大事だったものが、急に憎たらしくなったのだろうか。
そんな時代を経て、再び地域で大事にされてるお寺や仏像を見ると
またちょっと違って見えてくるのでした。
- 2015/04/03(金) 19:56:06|
- 龍潭寺
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