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僕
歴史を感じさせる赤い外壁、重厚な存在感。
壮麗というイメージのブルーモスクとは違い、不思議な重量感を感じるのが
アヤソフィアだ!他のモスクとは違った印象を受けるのは、アヤソフィアが辿ってきた歴史の所為だ。
~~~~では少々歴史を説明しないといけないようですね~~~~~~~~~~~~~
かつてローマ帝国という世にも有名で巨大な帝国がありました。。
もちろんみなさんの知っての通り首都はイタリアはローマでした。
時の支配者 コンスタンティヌス帝はローマに変わる新しい首都建造を始めました。
コンスタンティノープルいう都ですが、それが現イスタンブールになるわけです。
その後ローマは西と東に分裂(395年)し、コンスタンティノープルは東ローマの首都ととして栄え続けました。
この時にキリスト教大聖堂として、アヤソフィアは建造されました。
この頃から東ローマ帝国はビザンツ帝国と呼ばれるようになります。
しかし、この時のアヤソフィアは焼け落ちてしまったそうです。
現在のアヤソフィアは532年ユスティニアヌス帝によって再建されたもの。
約1500年前の建物ってことになりますね。(すごい!)
この時点までは、アヤソフィアはキリスト教の建築物でした。
しかし、これがイスラムの寺院になるには少し時間を要します。
コンスタンティノープルは
「コンスタンティノープルを制するものは世界を制する」って程の戦略的要地となり
なんども包囲されたり、十字軍の戦場になったり
度重なる戦乱をくぐりぬけてきました。
テオドシウス帝の作った大城壁がイスラム勢力を退けるのに大きな力を持っていました。
が、
1453年オスマン帝国(オスマントルコに)よってコンスタンティノープルは陥落し、
長く続いたビザンツ帝国の時代も幕を閉じます。
しかし、その時の支配者、メフメット1世は驚くべき決断をしたのです。
なんと、キリスト教の大聖堂、アヤソフィアをイスラムのモスクとして転用したのです!!!
これは
すごい!って何がすごいって、支配した地域はとにかく破壊する!敵の文化は認めない!
財宝は
掻っ攫う!がこの時代の基本だったのに
オスマントルコはそれを破壊することなく利用することを選んだのです!!
結果、コンスタンティノープルはオスマン帝国の帝都イスタンブールとなり、
アヤソフィアはミナレット4本を追加され、内部のキリスト教の絵を
塗りつぶされるだけで、イスラムの寺院として生きることになったのです。
パチパチパチ☆
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
ということで、見た目もそうですが、アヤソフィアには時代の重みを感じるのですね。
だから、僕はブルーモスクよりも、アヤソフィアの方がググってきます。
いろいろあったんだねぇ~ってね。

廊下も素敵なアヤソフィア。
そんなアヤソフィアは現在博物館となっているのです。
入場料が必要で、当然、礼拝もされてません。
次回予告、アヤソフィアの内部に突撃です!
- 2006/05/20(土) 00:28:02|
- 2006年トルコ イタリア スイスの旅
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| コメント:5
>りんごさん
ん?パソコンによって矢印がズレてしまうのかな?
僕は噴水の前で中途半端に両手を広げていますよ。
1500年の歴史!

>沙耶花さん
アヤソフィアはそういえばかわいい響きですね。
近くによると意外にゴツゴツしてるんですよ。
遠くからみるとなだらかな表面に見えるのですけどね。
- 2006/05/21(日) 02:17:38 |
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